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ブラム・ストーカー『ドラキュラ』にみる19世紀末のルーマニア:歴史、地理、そして吸血鬼伝説の病理学的背景

Tags: ブラム・ストーカー, ドラキュラ, ルーマニア史, 吸血鬼伝説, ゴシック文学

はじめに:『ドラキュラ』を読み解くための多層的な背景

ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』(1897年)は、ゴシック文学の傑作として、また吸血鬼文学の原点として、現代に至るまで多くの読者を魅了し続けています。単なる怪奇小説としてだけでなく、この作品には発表された19世紀末の時代背景、特に東欧ルーマニアの歴史と地理、当時の吸血鬼に関する民俗学的伝承、そして発展途上にあった科学や医学の知見が深く織り込まれています。これらの背景知識を理解することは、『ドラキュラ』が描き出す恐怖、異文化との接触、人間の理性と本能・迷信の対立といったテーマをより深く、多角的に読み解く上で不可欠となります。

本記事では、『ドラキュラ』の舞台設定や登場人物の造形に影響を与えたとされる、19世紀末のルーマニアの状況、東欧における吸血鬼伝説の性質、そして当時の医学・病理学に関する知見に焦点を当て、これらの背景知識が作品にどのように反映されているのかを解説します。

19世紀末ルーマニアの歴史と地理

『ドラキュラ』の冒頭、主人公ジョナサン・ハーカーはトランシルヴァニア地方(現在のルーマニア中部)にあるドラキュラ伯爵の居城を目指します。このトランシルヴァニアという土地は、作品に神秘的かつ閉鎖的な雰囲気を与えています。

トランシルヴァニアの地理と歴史

トランシルヴァニアはカルパティア山脈の内側に位置し、その険しい地形は外部からの隔絶感を強調しています。歴史的には、ルーマニア人の祖先とされるダキア人の土地であり、ローマ帝国の支配、その後の様々な民族移動を経て、中世以降はハンガリー王国やオスマン帝国の影響下に置かれました。16世紀には独立したトランシルヴァニア公国が存在しましたが、後にハプスブルク君主国(オーストリア帝国、後のオーストリア=ハンガリー帝国)の支配下に入ります。

19世紀後半、ルーマニア公国がモルダヴィア公国とワラキア公国の合併によって成立し、1878年の露土戦争終結によりオスマン帝国からの完全な独立を達成します。その後、1881年にはルーマニア王国が樹立されました。しかし、トランシルヴァニア地方は依然としてオーストリア=ハンガリー帝国の一部であり、多数派であるルーマニア人はハンガリー人の支配下で民族的自治を求める運動を展開していました。『ドラキュラ』が執筆された当時は、このような複雑な歴史と多民族(ルーマニア人、ハンガリー人、ドイツ系のザクセン人、ユダヤ人、ロマなど)が共存する土地でした。

ストーカーがトランシルヴァニアを舞台に選んだのは、その地理的な隔絶性と、当時のイギリス人から見た「東洋」的な神秘性、そして複雑な歴史が醸し出す異質性が、物語の舞台として魅力的であったためと考えられます。

ヴラド3世との関連

ドラキュラ伯爵のモデルの一人としてしばしば挙げられるのが、15世紀にワラキア公国を統治したヴラド3世(Vlad III)です。彼はオスマン帝国に対する抵抗で知られ、その残虐性から「串刺し公(Țepeș)」と呼ばれました。彼の父ヴラド2世は、竜騎士団(Order of the Dragon, ラテン語: Ordo Draconis)の一員であり、「竜」(Dracul)の称号を持っていました。その息子であるヴラド3世は「竜の子」(Drăculea)と呼ばれ、これがドラキュラという名に繋がります。

ただし、『ドラキュラ』における伯爵は、単なるヴラド3世の写しではありません。ストーカーはヴラド3世の歴史的事実(オスマン帝国との戦い、勇猛さ、残虐性)を吸血鬼という存在に結びつけ、自らのフィクションに取り込みました。作品中で伯爵自身が自らの家系や歴史について語る場面がありますが、これは史実のヴラド3世の生涯や、トランシルヴァニアを含むカルパティア地域の歴史的抗争(特にオスマン帝国との戦い)を強く意識したものと言えます。史実とフィクションの融合が、ドラキュラ伯爵というキャラクターに深みを与えています。

東欧における吸血鬼伝説

吸血鬼伝説は世界各地に存在しますが、東欧、特にバルカン半島やカルパティア地域は、近代における吸血鬼イメージの主要な源泉となりました。

吸血鬼伝承の性質

東欧の吸血鬼(ヴルラック、ストリゴイなど様々な名称があります)は、近代文学で描かれるような洗練された貴族ではなく、むしろ死後に蘇った存在(特に適切に埋葬されなかった者、異端者、自殺者など)が、生者を襲い、その生命力や血液を吸うという、より土俗的で恐ろしい存在として描かれることが多かったようです。これらの存在は病気を広めると信じられ、共同体に災いをもたらすと考えられていました。

18世紀には、ハプスブルク君主国の支配下にあったセルビアやトランシルヴァニアで実際に「吸血鬼騒動」が発生し、現地での吸血鬼に対する恐怖や対策(遺体の掘り起こし、杭打ちなど)が西欧に伝えられ、当時の啓蒙思想家や医師たちの関心を引きました。ペーター・パウル・ヴァッツリクやアルノルド・パオレといった事例は、当時の報告書を通じて西欧でも知られるようになり、吸血鬼という概念が単なる地方の迷信から、より広範な関心事へと変化するきっかけとなりました。

ストーカーはこれらの東欧の吸血鬼伝承や18世紀の吸血鬼騒動に関する報告書を参照し、自らの作品に生かしました。作品における吸血鬼の弱点(日光、ニンニク、聖なるものなど)や退治方法(杭打ち、斬首など)は、これらの民俗学的伝承に由来する要素が多く含まれています。

19世紀末の医学・病理学

『ドラキュラ』が発表された19世紀末は、科学、特に医学が急速に進歩していた時代です。細菌学の誕生、輸血の試み、精神医学の萌芽など、生命や病気に関する理解が大きく変化しつつありました。ストーカーはこれらの当時の科学的知見を作品に取り込み、恐怖描写にリアリティを与えています。

血液と輸血

吸血鬼は血液を吸う存在であり、血液は作品の中心的なモチーフです。19世紀末には、血液循環の理解は進んでいましたが、血液そのものや輸血に関する知見はまだ限定的でした。輸血は非常に危険な試みであり、成功率は高くありませんでした。作品中でルーシーやミナの治療のために複数回輸血が行われる描写は、当時の医療現場における希望と危険を伴う新しい試みを反映しています。血液が生命力そのものであるという概念は、科学的知見と古い生命観が入り混じった当時の感覚を表していると言えます。

病気と伝染

作品中、ルーシーは原因不明の衰弱に苦しみ、最終的に吸血鬼化します。その症状(顔色の悪さ、衰弱、歯茎の異常、夜間の行動など)は、当時の人々が恐れていたいくつかの病気(貧血、結核、さらには狂犬病やポルフィリン症など、後の研究で吸血鬼伝説との関連が論じられた病気も含む)の症状と重ね合わせることができます。特に伝染病に対する恐怖は、当時の社会に根強く存在しました。吸血鬼による「感染」は、まさに正体不明の病原体によって健康な人々が蝕まれていく過程を恐ろしく描き出しています。ヴァン・ヘルシング教授が、吸血鬼をある種の「病」として捉え、科学的な知識(当時の限界内での)と古い迷信の両方を用いて立ち向かう姿勢は、近代科学が迷信や未知の病に対して格闘していた当時の時代精神を反映していると言えます。

精神医学とヒステリー

19世紀末は、精神医学や神経学が発展し始めた時期でもあります。ヒステリーのような心因性の疾患が注目され、人間の精神の深層や異常な行動に対する関心が高まっていました。ルーシーやミナが経験する精神的な変調や異常な行動は、当時の精神医学の知見や、人間の精神の不可解さに対する当時の感覚と無関係ではないと考えられます。

作品との関連性の分析:背景知識がいかに物語を形作るか

解説したこれらの背景知識は、『ドラキュラ』の物語構造、キャラクター、そして作品のテーマに深く影響を与えています。

これらの背景知識は、『ドラキュラ』が単なる怪奇小説ではなく、近代化が進む西欧社会が、前近代的なもの、理性では捉えきれないもの、そして未知の病や精神の闇といった「異物」に直面する恐怖を描いた作品であることを理解する上で重要な鍵となります。

まとめ:背景を知ることで広がる『ドラキュラ』の世界

ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』は、19世紀末という時代の、ルーマニアという特定の地理・歴史的空間、東欧の民俗伝承、そして当時の科学・医学的知見が複雑に絡み合って生まれた作品です。トランシルヴァニアの地理は物語に閉鎖的な舞台を提供し、ヴラド3世に繋がる歴史は伯爵に威厳と暗い過去を与えています。東欧の吸血鬼伝説は超常的な恐怖の源泉となり、そして当時の医学・病理学の知見は、吸血鬼による「感染」という恐怖にリアリティを与えています。

これらの背景知識を学ぶことは、作品の表面的なプロットを追うだけでなく、登場人物たちの行動原理、ゴシック的な雰囲気の由来、そして作品が問いかける近代と前近代、理性と迷信、生と死、健康と病といった根源的なテーマについて、より深い洞察を得ることを可能にします。読者は、単に物語を楽しむだけでなく、その背後にある豊穣な歴史的、地理的、科学的、そして民俗学的な世界に触れることができるのです。これらの背景を知ることで、『ドラキュラ』は単なる吸血鬼物語から、19世紀末という時代の不安と知的好奇心が生んだ、多層的な文化の結晶として立ち現れてくることでしょう。